名残

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夏が去る頃を、名残惜しいと感じた年頃もあり、
だけど、人がいなくなった海水浴場もなんとなく好きだった。



空が高くなり、海は凪いでいて、風は少し渇き始め、
花火のゴミも少なくなり、船小屋の浜茶屋は片付けられないまま閉店し、
海に入る人影なく、浜辺でチラホラ遊ぶ子ども。



やっと、嫌いな海が終わった、とほっとしたのは小学生の頃。
今年も頑張ったなぁ、としみじみしたのは民宿バイトしていた高校生の頃。



ぼんやりと眺める海の後ろでは、
稲穂が首を垂れ始め、サラサラと風に揺れていた。



日に焼けた肌に夏を感じたのは20代。
水着の跡が色っぽいと、勝手に思い込んでいた。



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白い夕顔が好きで、よく育てていた。
祖父はシンピジュームを咲かせていた。



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風鈴の音。
下駄の音。
日暮の声。

静かな浜辺の 囁く波音。





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郷愁

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空蝉も、沢山の人がupされていたので、珍しい写真でも、上手な写真でもない。
もう、蝉の声も遠くになり、夜半には虫が鳴いている。

昨夕、雷雲を見かけ、朝方は激しい雷雨となった。

日々の出来事に浮かれ、
傍と足を止めたとき、
映る景色はいつもと違う色をしていて、
それは、雨を、雷を含んだ雲のせいかもしれない。

懐かしくて、京都ではなくて、幼い頃の記憶、旅の記憶。
こみ上げる感情につける言葉の持ち合わせがないのは語彙力がないため。

秋の気配は、
浮かれた感情も 夏の盛りを冷ますように、
静かに、穏やかに、切なく、寂しく、遠くに響く雷鳴のように、
トクン、とちいさく 聴こえた。


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夏に撮った向日葵。

合掌

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墓参りにも帰らず、送り火に手も合わせられず。


モデムの故障により、更新が滞りました。


写真を通じて 糸が 引き合い、
遠方ながらも 心が つながり。

何かの 誰かの 思惑。
菊理媛命 の 言葉 の 意味。
故人 の 想い 或は 守護。

これが もし 不運の始まりであったとしても、
「曇りなき眼で見定め」れば 
また 導かれていくのだろう。

合掌。



綾とり

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実は、不惑は不惑でなく、「不或」だったんです。不或とは、「区切らず」の意で、本当は「四十にしてくぎらず」と解釈すべきであるということです。
四十にもなればある程度の成果を出し、自分に自信を持って迷いがなくなるのかもしれないけれども、そこにしがみつかず、新しい領域にチャレンジしていかなければいけないよ、というメッセージらしいんです。
ちなみにこの主張の根拠としては、「惑」という字は、孔子の時代には存在しないためらしいです。

知らなかった!孔子の名言の大きな誤解

四十の音をきいたとき、目指す道は決めていた。
もう迷いはない、すべてを諦めたりしない、
その心は揺るがず、いまも しっかりと私の軸となっている。
時間はかかることでも、いや、かかるからそれは「道(Tao)」に近いもの。

父の与えてくれた名言に悩んだりもしたが、不惑、も同じく。
こんな意味があったとは。
ならば、本来の「不惑」も、見つけた「不或」も、どちらも、
私には当てはまり、そんな意味があるなら、
もっと人生楽しくなるじゃないか!!、と引用させていただいた。

言葉の意味は、云った本人にしかわからない。
父のくれた名言は「少年よ 大志を抱け」
この言葉にも、諸説がある。

どの解釈が・・・と論じるつもりはない。
ただの、言葉の綾とり。

自転車で橋を渡れば早いけど、抱えて川を渡るように。





月食

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今回の 満月は 月食
特別な 満月。

日々 の中で 月は満ち欠け、
潮も 満ち引き、

様々な感情も 同じように 寄せては引き
溢れては 欠けて足りなくなり。

それが 自然の理なら 私は 抗わずにいよう。

胸の内にある 小動物は いなくなったりしない

鼓動に 耳をかたむけ 身体の声に 素直に

 

陽を受けて

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雨上がり  太陽を向くのは
向日葵だけじゃない

滴を のせてもいないし
花も 散り見る人もなく

小さなお寺で ひっそりと
佇んでいる  




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花は花として

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もっと美しく写している人は 沢山いる。

でも 私は 自分が写した花たちの写真は 
美しく写せていなくても 案外 好きなのだ。

接写も ぼかしも へたくそである。
色もきれいに出ていない。
撮り方だって、もっといいアングルがある。

だけど。
写した花が、何処で、どんな風に、咲いているか、
どんな風に、根付いているのか、なんとなくわかるから、
人の人生のように、花が花として咲いている場所、生きている場所が見えるから、
たぶん、好きなのだと思う。

どこで咲いていても、どこで散っても、花は花として。

人も また、 人として。




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金魚も一緒です。 

基本

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ピアノの先生を変えた。三人目。
基本から仕込み直し。

ギターもやり始めてから三人目の師、だった。
そこから三年でピアノへ。
それから、今、三年。

石の上にも三年。

カメラを持って、今、体力がいることを痛感。
三年後、どう変化しているのか。
すべてが楽しみである。



ごくわずかでも、ご訪問下さり、ありがとうございます。
細々と続けていきます。
これくらいの方が、ちょうどいい。


お日様と影

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住んでいる地域の加減か、季節の問題か、そのどちらともか、
わからないが、朝陽がつかまえられない・・・。

日の出時分に自転車を走らせてみたが、雲の加減もあるのか、
どうも上手くいかない・・・。

先に、夕陽をとらえることから。

稲荷に夕暮れ時に行ってみたが・・・
多分、フィルムを入れ損ね感光していない気がする・・・。

それでも、光と影を見つめ、ファインダーを覗いたことは、
多分、経験としてインプットされたと信じたいが、
アウトプットされないのが残念である。

今は、自分の中でまだ見れる写真を使っているが、
いつか、これは全て没写真です、と云ってみたい・・・。


いつの時代も


親の心 子知らず
子の心 親知らず

ヒトに限らず 生きモノ すべて なのかもしれない


微妙にシャッターチャンスをモノに出来なかった鴨親子
そして、少し遠かった・・・。


母:このくらいの段差 もう上がれるでしょ?
子ら:上がれないよ・・・無理だよ・・・
母:遅いわね・・・
子ら:だって無理だよね・・・もうやめる?(遊び、相談)
母:早くしなさい
子ら:ちょっと行ってみるかな・・・やっぱり無理・・・

そんな声が聴こえてきそうな情景でした。


~写真は続きで~

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向き合う

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何かと向き合った時、ちゃんと 捉えられていますか?

捉えているつもり、は「つもり」でしかない、という現実をぐさりと突き刺された。

現像が上がるときは 通知表を待つ気分。

ただ、樹の持つ空気を写せたら、ときちんと見たつもりだった。

ドキリ、とした。

いくら、眼を凝らしても見れていないこともある・・・。

感じ取れていたのか?、と尋ねられても、定かでない。

狙って写したもの、ではない・・・。

もう一枚は、大文字が間にみえている。

なんの偶然が、この2枚になったのか・・・。

この樹は、何を伝えようとしてくれているのだろう。

写真は、情景を切り取る為だけの道具ではないことは、

確かなことである。





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みたらし祭り

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裾が濡れても 

また 来年も

浴衣で 君と







要らないものが写っている・・・ぅぅぅ

みたらし祭りは下賀茂神社で7月末に行われる足つけ神事です。
みたらし池はこの時だけ開放されます。
みたらし団子の由来の池です。





馴染み

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たまにはiPhoneで撮影






懐かしさもなく 新鮮さもなく 
あるべきものは あるべき場所に
あるべきひとは あるべき場所に

たまには 店を 変えてみても
かならず 戻る いつもの椅子

頻繁に 行くわけでは ないけれど
映画や 音楽、酒の話 カウンター越しに

グラスの氷が カランと音を立てるとき
だれかと 重ねた唇 の 瞬間・・・

彼女は 今日も 黙って 俯いている








おまけ

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愚にもつかぬ

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言の葉 は 言の刃 
我が身 も 切り裂く

よくよく 分かっていながら

ああ 愚かだ と 気付けるだけ 
まだ 真面であると 思いたい


ほんとうに 上手い人の写真を見ると、
自分の写真が如何に稚拙なものか、とホトホト呆れる。
そりゃ、昨日今日始めたばかりで、上手くなる方が可笑しいのだが。

それでも、
愚にもつかぬ言葉と、
愚にもつかぬ写真を、
性懲りもなく、今日もまた、書き記して、
足跡も残していないのに、お越し下さり、
本当に、ありがとうございます。

とにもかくにも、色々な思いもあり・・・。

宿るモノ

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人気撮影地で起こっている、信じられない迷惑撮影



虎が死んだら 皮 残す
人が死んだら 名を 残す

ニワトリ死んだら 何 残す?
共同募金の羽根 残す 


幼いころ、共同募金の頃によく笑いながら父が云っていた。(笑)

綺麗なもの、に憧れるが、途中で飽きてくる。
ルーツをとことん探るようになり、
そして、また、綺麗なものが 好きになるが、
今度は、根拠がある綺麗なものを好むようになる。
だから、音楽は、アメリカのカントリーやブルースが生まれる前の、
土臭~い音楽を一時聴いていた。

観光地、観光化されすぎた土地よりも、誰も行かないところに憧れた。
その上で、観光地を眺めたとき、時には自然を守るため、
必死になっている方たちの姿が見えるようになった。

写真。絵画。を眺めたとき。
美しいなぁ、と魅入ってしまうことがある。
自分でカメラを持つようになり、今は、整えられている景色、
映し出されているものに疑問を感じることがある。

自分の名前。
大っきらいだった。ありきたりだし、書きにくいし、呼びにくいし。
ある時、とても、好きになった。
私をあらわす、名前。

其処彼処に宿るモノ。
人の手が穢し、破壊したとしても、
また、人の手に宿るモノ、もあり、
その手が、其処彼処を繕っている。

ほんとうに、美しい瞬間、というのは、そういったモノたちの、
命が輝く瞬間。




     
プロフィール

央輝(Akira)

Author:央輝(Akira)
風の吹くまま、気の向くまま。
「天上天下、唯我独尊。」



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